萩 花の江
●萩のお土産選び
■萩と夏みかん

 武家屋敷の土塀や生垣の中にたわわに実る夏みかんの姿は史都 萩の魅力の一つです。
その夏みかんは1700年代に現在の山口県長門市青海島の大日比の海岸に流れついたものを拾って種をまいて育てたのが、初めと言われています。
その後、1804年頃、萩の江向に住んでいた樽崎十郎兵衛が大日比の知人から贈られた数個の果実から得た種子を播いたのが萩の夏みかんのはじまりです。
萩は、毛利氏36万9千石の城下町として繁栄していました。しかし明治維新の廃藩置県により士族の生活も困窮がひどくなり、諸所に空地が見られるようになりました。
旧藩主 小幡高政は士族救済の一対策として藩政時代には萩地方各所に散在するにすぎなかった夏みかんを増殖させることに着目しました。明治10年に1万本の苗木を侍屋敷のあとの空地に植え、10年後には町村はほとんど夏みかんでうまったといわれています。
その頃から全国各地に夏みかんの出荷が始まりました。当初、夏みかんは「ダイダイ」、旧暦の夏になると食べれるダイダイという意味で「ナツダイダイ」、または、形状から「バケダイダイ」と呼ばれていました。
しかし、明治18年 大阪の問屋に出荷の相談をしたところ、出荷には賛成しましたが、大阪では「ダイダイを食うとヨイヨイ(中風症)になる」といって嫌うので「ナツミカン」という名にした方がよいでしょうという問屋の意見にしたがって、売名「ナツミカン」として出荷されるようになりました。その後商品名として「夏みかん」が用いられるようになりました。
夏みかんは萩市の経済に関係の多い特産物となり、今現在も萩のシンボル的存在として全国に知られています。


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